元お笑い芸人、現Webディレクターの仕事をしている、なついです。
19歳のときでした。
メディアに引っ張りダコ、お茶の間のスターになることを夢見て、私は芸人の世界に飛び込んだのです。
若さと情熱、それに未知なる世界への期待と不安を少し隠し持って。
そしてお笑い芸人として活動すること12年…。
1発屋どころか、0.5発屋になることすら叶わず。
なつい
そんな売れなかった元芸人のもとへ、ツイッターのフォロワーさんや現在の仕事関係の方から様々なご質問が届きます。
※過去にいただいたご質問に対して、記事という形でお答えしていますので、よろしければ併せてご覧ください。
今回は、いただいた下記のご質問内容にお答えしようと思います。
・ご質問内容:「芸人時代の年収はいくらでしたか?」
ご質問者さまは、リアルな数字が知りたいようです。
確かにネット検索でよく見るまとめサイトの芸人推定年収などは根拠があいまいですからね。
芸人生活を長年やっていたからこそ言える、芸人時代の年収事情について、可能な範囲で公開いたします。
芸人生活1年目の年収はいくらだった?
「元芸人が手がけた超黒字を出し続けるライブ運営テクニック」という記事で公開しましたが、私はお笑い芸人としてキャリアをスタートさせた1ヶ月目からライブを自己主催し、月に15〜50万円程度の利益を出していました。
15〜50万円の間をとって、ここでは月のライブ収益は30万円と考えることにしますね。
・ライブ収益:30万円×12ヶ月(1年間) = 360万円
さらに、芸歴1ヶ月目から「集客方法を大公開!お笑いキャリア1ヶ月でライブ動員数200人を達成させた戦略」で書いた内容のように、常にお客さんが入るライブの運営者として、イベント会社から企画立案のお仕事をいただいたり、多数の大学からも学園祭へ出演・運営をしてほしいと声をかけていただいたりしていました。
・イベント会社からの仕事依頼:3万円×年6回 = 18万円
・学園祭の運営・出演依頼:10万円×3校 = 30万円
まとめます。
1年間の収入
- ライブ収益:30万円×12ヶ月(1年間) = 360万円
- イベント会社からの仕事依頼:3万円×年6回 = 18万円
- 学園祭の運営・出演依頼:10万円×3校 = 30万円
合計:408万円
その当時はコンビを組んでおり、収益は相方と折半(半分こ)していました。
なので、この408万円を2で割ります。
というわけで、私の芸人生活1年目の年収は約204万円でした。
収益の大半は広告費や投資に回した
「集客方法を大公開!お笑いキャリア1ヶ月でライブ動員数200人を達成させた戦略」でも書きましたが、コンビで主催するライブのチラシ代に年間100万円以上使っていました。
さらに、お笑いキャリアスタートから数年後に元相方と立ち上げた会社に、資本金として数十万円、回していました。
他にも、税理士さんへの相談料、所属事務所に黙って制作をしていた営業用の宣材資料費など、出費の数々を洗い出して年収を計算し直すと、実質、手元に残るお金は130万円くらい。
この130万円を12ヶ月(1年間)で割った金額はおよそ10万円。1ヶ月あたり10万円では、家賃だ!食費だ!公共料金だ!で生活は成り立ちません。
そのため、週に2〜3回のアルバイト代を生活費の足しにしていました。
芸歴5年目の年収はいくら?増えた?減った?
先ほどもお話しましたが、私は芸人生活1年目から芸人としての年収が200万円を超えていました。
当時も今も、芸人としてのキャリアをスタートさせたばかりの年に年収が200万円を超える例は相当レアだと思います。
芸人のギャラ(給料)事情として、
- 舞台出番1回でギャラは50円
- 事務所とタレント(芸人)の取り分が0対0の割合だから、ギャラが全然入ってこない
- そもそも芸人の仕事がない
こんな話を見聞きしたことがありませんか?
どれもネット記事やトーク番組などで、たびたび語られている内容です。
なつい
仕事がないから給料もない。
芸人活動を始める前は、休む暇がないくらいに仕事をして大金を稼ぐ。
芸人という華やかな仕事のイメージが、1か月目にしてくつがえされ厳しさを知ることとなったのです。
そのとき私たちが取った行動は『発想の転換』でした。
私たちはこの考え方で自らを極貧生活から救ったのです。
「元芸人が手がけた超黒字を出し続けるライブ運営テクニック」で書いたように、お客さんや出演したいという芸人が集まるお笑いライブ開催の回数を増やす、開催地域を東京から大阪にも拡大するなどにより収益がアップ。
さらに、「集客方法!新規のお客さんを確実に獲得してきた路上ライブ戦略」のような地道な活動が実を結び、深夜ではありますが冠番組やラジオ・レポーターなどの仕事を製作会社の方からいただくことができました。
このように収益源が増えたことで、芸人としての年収は芸歴に比例する形で上昇し、芸人生活5年目には芸人時代の年収最高額で600万円に達しました。
相方が替わったとたん、芸人年収は0円に
私は相方を3回替えています。
芸人キャリアをスタートさせてから8年で1度コンビを解散。
その後、「引きこもり歴1年で貯金300万円が0円に!元芸人の体験談」で書いたように、引きこもり生活を挟んだのち別の相方とコンビを結成→解散→別の相方とコンビを結成→解散を2回繰り返します。
ですが、芸人としてまともに稼げていたのは最初の相方のときだけでした。
理由は、京都大学経済学部の卒業生である相方に、ビジネス的な発想力や行動力が抜群にあったからです。
ネタ合わせ以上に、どうすれば人が集まりお金を落としてくれるか、集めたお金をどこにどう投資すればさらに人が集まるのかについて話していた記憶があります。
2度3度と相方を替え、コンビでの活動を続けましたが、お笑いライブでの優勝賞金、数千円を稼ぐのがやっとでした。
年によっては、年収0円。
なんとも悲しい芸人年収事情でした。
おわりに
ご質問いただいた「芸人時代の年収はいくらでしたか?」について、過去の経験を基にお伝えしました。
冒頭で書いたように、私は1発屋どころか0.5発屋にもなれていません。
しかし、キャリア1年目から芸人としての年収は200万円、芸人生活5年目では芸人としての最高年収600万まで達しました。
ここからはタラレバの話となりますが、あのとき芸人として人気ネタ番組にレギュラーで出ることができていタラ、芸人として売れていレバ、年収が1,000万円以上であったことは間違いないでしょう。
実際に芸人時代、ライブや仕事を一緒にしていた某芸人は8桁(1,000万円)以上の年収を稼いでいます。
なつい
またご質問をいただきましたら、芸人時代の話を書きたいと思います。